10年ぶりの再会は棺の中でした

7月20日朝、学生時代の友達真里から電話がありました。
「まきねぇが亡くなったの」
あまりに急すぎて理解するのに時間がかかり彼女の顔も
10年あってないせいで思い出せない。
愛知県に住む彼女は音楽学校時代の友人でしたが
私はその学校を1ヶ月ちょっとで退学していました。
でもその1ヶ月ちょっとでたくさん全国に友達が今でもいます。
ただ、遠いという理由や、みんな子育て仕事におわれているため
なかなか会うこともできないでいました。
亡くなった彼女ともそうでした。
お通夜が21日、お葬式が22日と聞き、今すぐにでも行きたいと
思いましたが、子供はどうする?どうやって行く?
迷って困ってどうしていいかわからなくなっていました。
でも親友の真里が「行かないと後悔するよ」って言ってくれて
行くことを決意しました。
21日、朝彼に行くことを告げると仕事を休んでくれました。
そして車でお通夜へ無事行くことができました。
亡くなった彼女は、結婚2年目で仕事も以前私たちが通った
学校の講師もしており、ミュージシャンでもありました。
そして待望の赤ちゃんを妊娠していました。
今月の10日が出産予定日だったそうです。
10日をすぎて、まだ陣痛の兆しがなかったため陣痛促進剤を
使って20日出産に挑みました。
夜、羊水が体内に流れるという今の医学では解明できない病名で
分娩中に赤ちゃんと共に亡くなってしまったのです。
1ヶ月前に会った友達は「もうすぐなの」と彼女の幸せそうな顔で
話す言葉も聞いていたり、年賀状には「今年ママになります」と
ほんとうに幸せの絶頂だったときでした。
この今のご時世、分娩で母子共に亡くなるなんて・・・・。
通夜に行ったとき喪主である旦那様は気丈にしておられましたが
喪主の挨拶で、葬式場の人に渡された挨拶の紙を折りたたみ
自分の心の声で、彼女が死に至ったまでのことを話してくれました。
彼女の人生の素晴らしさ、結婚してから毎日笑顔で送った生活、
赤ちゃんができるという喜び。それが突然、一気になくなってしまったのです。
「運が悪かったという言葉で納得できることではありません。」
旦那様の言葉でした。
お腹の中に入ったままの赤ちゃんと共に棺に入れられていた彼女の顔は
とても安らかなどという言葉はうかばなかったです。
お腹の赤ちゃんは女の子で「あおいちゃん」という名前をつけようと
二人で話していたそうです。
10ヶ月までずっと順調にきて、分娩台で亡くなるなど
誰が想像したでしょう。
遺影の彼女は10年前のままの笑顔でした。
ママにもパパにも抱っこされずに亡くなったあおいちゃん、
妊娠はしたけれど母親としての幸せを絶たれたまきちゃん。
あおいちゃんの顔を見ることすらできず、まきちゃんをも失った旦那さん。
こんなドラマや映画でありそうな現実が目の前にやってきたとき
人間はとても無力だということを思い知らされました。
悲しい悲しい再会でした。